【追記事項】
この記事を書いた後、のべろはココナラで個別の講評サービスを始めました。
実質的に、本記事の批評内容は、のべろがどんな講評をするかのサンプルとなっています。
詳細は以下のリンクからご確認ください。
(追記ここまで)
どうも、のべろです。お待たせいたしました。
予告していた通り、本記事にて
ブログ読者さんの新人賞落選作品を公開批評します。
先週、このような記事を投稿しました。
詳しい流れは記事を読んでいただければと思いますが、
僕がブログとX(Twitter)を始めてすぐ、
その翌日に行動を起こしてくれた読者さんがいました。
その方はかつての僕と同じで、
ずっと独学で小説を書いてきており、
完全に行き詰まっていたようです。
そして僕の過去の話を読んで、
「やっぱり他人に見てもらうべきだ」と一念発起し、
勇気を出して僕のXに「作品を読んでほしい」という旨のDMを送ってくれました。
「自分のやり方が間違っているかもしれない」と思った人でも、
こういう風に行動に踏み切れる人はなかなかいません。
本来なら相応の対価を受け取るべきサービスですが、
行動してくれたことが本当に嬉しかったので、
今回に限り、ブログ上で公開批評するという形でお受けしました。
「しっかりと必要なだけ厳しく書いていただいて問題ないです」
と伺っていますので、
プロ作家・のべろの本気の批評をお見せします。
なかなかこういう批評を目にする機会はないと思うので、ぜひ本気で読んでみてください。
他人の原稿への批評だからといって他人事のように読むのではなく、
「自分はどうだろうか」という視点で読むと学びがありますよ。
また、最後に重要な告知もあるので、そちらもぜひご覧くださいね。
前置き・批評にあたって
批評する作品
まずは批評する作品を紹介します。
上述した読者さんというのは、富士月愛渡さん(https://twitter.com/aito_nejiba74)。
そして作品は、「小説家になろう」と「カクヨム」に上がっている「イドフリミエ」です。
読者のみなさんには、この先を読み進める前に、
上のリンクから作品を読破していただければと思います。
……というのが理想ですが、丸一冊分を読むのは大変すぎますね。
作品を読まなくてもある程度わかるように書きますのでご安心ください。
どんなストーリーなのかを簡易的に理解してもらうため、
作品全体を要約したあらすじを置いておきます。
(富士月さんがMF新人賞に投稿された際の梗概です)
――これは『秀叶』と六人の迷える少女達の物語、その序章。
活動休止中の高校生シンガーソングライター『秀叶』、本名「野中秀叶」は、ある理由から人前で歌うことを封じていた。
高校二年生の四月、秀叶は空き教室で歌っているところをクラスで人気の女子生徒――一ノ瀬弦華に見つかってしまう。幸いにも正体はバレずに済んだ秀叶だったが、翌日の放課後なぜか彼女に呼び出される。連れてこられたレンタルスタジオで、秀叶は彼女がシンガーソングライターを目指していることを知り、その最初のMV制作を手伝って欲しいとお願いされるのだった。
秀叶は最初これを断ろうとするが、弦華が作った曲とその歌声を聴いて彼女もまた歌に願いを込める人間だと知り、その申し出を受け入れるのだった。
こうしてMV制作の日々が始まった。悪戦苦闘を繰り返しながらも、二人は共に問題を乗り越え、絆を深めていく。また、そんな日々を通して、秀叶は自分にとっての歌の意味、そして忘れていた「楽しい」という気持ちを再認識するのだった。
そして迎えた撮影最終日、弦華は秀叶に、実は正体に気づいていたことを明かす。弦華は元々『秀叶』の大ファンであり、突然活動休止してしまった彼にメッセージを届けるために作曲を始めたのだった。弦華は改めて秀叶に「歌って」と言う。そこで秀叶は、今まで誰にも話してこなかった自身の秘密について語り始める。
それは『人の顔を思い出せない』という秀叶の特性だった。秀叶は中学生で父親と死別しており、その欠けた記憶と想いを埋めるために歌を歌っていた。秀叶が活動休止したのは、そんなかけがえのない想いのこもった歌を軽視され、自分にとっての歌が汚されることを嫌ったからだった。
弦華はそんな秀叶の想いに涙しながらも、活動休止の理由については納得できずにその場を去る。一方、弦華との日々で自分の気持ちに変化を感じていた秀叶は、友人の言葉をきっかけに、自分が変化を望んでいることに気づくのだった。
そして迎えたMV完成の日、秀叶は弦華の前で歌を歌う。秀叶は弦華に感謝を伝え、弦華は涙を流し笑うのだった。
そうしてついにMVが公開される。最初は喜びでいっぱいの二人だったが、動画がクラスのグループラインに張り出されたことで事態が急変する。他者からの何気ない批判に弦華は傷つき、その苦しみから逃げ出した過去のある『秀叶』は弦華に声をかけられず苦しむ。
それでも「彼女にもう一度歌ってほしい」という願いに気づいた秀叶は、かつて彼女がそうしたように、自分もまたその想いを歌にして届けることを決意する。
そうして再び、『秀叶』が世界に姿を現すのだった……。
シンガーソングライターの高校生を主人公とする、音楽をテーマにしたストーリー。
ラブコメ要素もありますが、青春要素が強めです。
ラノベ、そして新人賞でも一定の人気があるジャンルですね。
批評の方向性
それでは批評に入っていきますが、その前に、方向性をハッキリさせておきましょう。
僕はこういう批評を行うとき、意識していることがあります。
それは、
書き手の感覚を変える、成長させる
ということです。
批評って、無難な指摘をするのはけっこう簡単です。
それこそ極端に言えば、誤字脱字とか物語の矛盾とか、重箱の隅をつつく感じですね。
そういう指摘は無難だし、波が立ちません。
でも、それでは成長できません。
それでその作品が良くなるか、受賞に繋がるか。
何より、自分一人で良い作品を作れるようになるのか。
作家としてのレベルが上がるのか。
そう考えると、
作品の根本を問い直すような指摘や、
書き手の意識にまで踏み込む指摘が必要だと、僕は思っています。
こういう指摘は優しい人ほどできないですし、僕も心苦しく思うことはありますが、
僕自身アマチュア時代にこういった批評サービスを受けており、
そうしないと成長しないことを身をもって知っているので、やってます。
さて、前置きが長くなりましたが……。
本作には、
「意識を変える」くらいのつもりで指摘すべき問題点が四つあります。
それぞれ順に見ていきましょう。
- 読者ファーストの意識が足りない
- キャラクターが弱い(特に序盤)
- 「対立」がない。だから先が気にならない
- 構成上、終盤1/3が蛇足になってしまっている
①読者ファーストの意識が足りない
最初から厳しいことを言うようですが安心してください。
これは誰もが通る道です。もちろん僕も通りました。
自分の自分の書きたいものを書く、
それが創作活動の初期衝動でしょうし、
趣味でやるアマチュアならそれだけで問題ありません。
ですがプロは違います。
読者が読みたいものを書く、
読者が興味のないものは削る。
たとえそれが、作家にとって思い入れのあるものであったとしてもです。
当たり前のようにも聞こえますが、
商業作家としてのデビューを目指す以上、
この意識は強く持っておかないといけません。
では本作において、どういったところでこの意識が欠けているのか。
具体的に見ていきます。
読者に伝わらない音楽用語は避ける
本作を受け取って、まず気になったのはタイトルです。
「イドフリミエ」
見たことのない単語でした。皆さんご存じですか?
検索してみると、音楽用語のようですが
ヒットした検索結果はたったの10件。
そのうち5件は本作の掲載された投稿サイトなどなので、
超マイナー用語のようです。
これだけならまだ「そういうタイトル」として見ることはできますが、
章のタイトルも全て「ドミナントセブン」「倚音」「Polyphonic lines」といった音楽用語で埋まっており、
音楽を知らない僕に分かった単語は「不協和音」だけでした。
音楽に詳しくないと意味が分からないというのは、
読者に優しいとは言えません。
GA文庫で大ヒットした将棋ラノベ「りゅうおうのおしごと!」という作品は、
著者の白鳥士郎さんによると、
もともとは「あいがかり!」というタイトルにしたかったそうです。
あいがかり(相掛かり)とは将棋の戦法の一つ。
物語のヒロインである2人の「あい」にかかったネーミングですが、
あまりにもマニアックすぎて読者に伝わりづらいという理由でボツになりました。
英断だったと思います。
読者に「よくわからない」と思われてしまう要素は、できるだけ減らしたいところです。
「タイトルや章の名前なんて審査に影響しないし、細かすぎるのでは?」
と思われるかもしれませんが、
似たような問題は原稿にも表れています。
「作者の意図」は隠す
本作の原稿の中には、作者の意図が前面に押し出されすぎていると感じた部分が多くありました。
それは、ヒロインについて地の文で説明したパートです。
一例を以下に引用します。
イオニア旋法——教会旋法と呼ばれる音階のうちの一つ。現在の長音階、メジャースケールと同じ形の音階である。
現代において誰もが知っているあの超有名な音階、「ドレミファソラシド」と同じ形の音階——その特徴は、言うまでもなくその明るい雰囲気にある。喜びに満ち、元気に踊る音階。嬉しい、楽しい、興奮、感謝、祝福、希望、願い、夢——そんな、人の心に欠かせない大切な光を彩る力を持ち、現在でもそのような曲の多くで使用される、明るく前向きな音階。
——そんなイオニアには、実は裏の顔があった。
とてつもない苦しみ、自分を限界まで追い詰める負の感情の先には、不気味なまでの明るさがある。イオニアはその明るさで、暗さや不気味さでは表現できない苦しみを表現する——その歪いびつさで、強い痛みを表現することができた。
明るさに代表される正のエネルギーをその身に宿しながら、苦しみの中にあっても明るく振る舞ってしまうその歪いびつさで、暗さよりもむしろ強く、身を襲う痛みを表現する——
——一ノ瀬弦華は、そんなイオニア旋法のイメージにぴったりの女の子だった。
第21話より
第21話の冒頭に挿入されていた文章です。
この小説は主人公またはヒロインの一人称で進んでいきますが、
この文章は主人公の思考を反映させたものではありません。
完全に筆者の視点から描かれた文章です。
この文章からは、メインヒロインである弦華が、
イオニア旋法という音階からインスピレーションを受けて作られたキャラクターだとわかります。
このような作者の意図は物語から徹底排除すべきです。
なぜなら、
読者が楽しみたいのは物語やキャラクターだから。
その背景に興味はありません。
こういった内容は物語本編ではなく、
後書きなりキャラクターブックなりで明かされるものです。
各話冒頭のポエムも不要
物語前半、各話の冒頭にポエムが挿入されています。
ポエムという表現でいいのかは分かりませんが……
主人公の語りではあるものの、物語の進行には関わっておらず、なくても物語が成立します。
物語に関係がないのなら、
やはり読者からの興味は薄いです。
よほど上手い文章を書かない限り、
この手のポエムは読者から見て余分なものになります。
物語に不要なキャラクターは削る
キャラクターの項で書いても良かったのですが、
読者ファーストの意識の欠如からくる問題だと思ったのでここに書きます。
本作では、
物語における役割の薄いキャラクターが多すぎます。
そしてキャラが多すぎて、
それぞれのキャラクターに割ける文字数も減り、
キャラクターが薄くなってしまっています。
具体的に問題があるのは、凜音、(その姉の未来)、冬華、凪月です。
特に悪目立ちしたのは冬華です。
名前があり、詳細に容姿描写がされ、ミステリアスな雰囲気という性格付けもされながら、
出てくるのはワンシーンのみ。
しかも、主人公とちょっとした会話をするだけで、
ストーリーの進行に何の影響を及ぼしていませんでした。
こういったキャラクターは物語のノイズであり、不要です。
1巻の物語に不要なキャラクターは、
2巻以降にまた出せばいいと割り切って削りましょう。
新人賞で見られるのは、1冊の物語としての完成度です。
僕ならば、役割の薄い3人のキャラクターは同じ1人にします。
そうすれば、凜音が序盤でしか登場しない消化不良感も、
主人公の背中を押す重要な役回り用になる凪月が終盤からのポッと出キャラクターである違和感も、
同時に解決できます。
凜音と凪月は、主人公に助言し後押しするという役割がかぶっています。
少なければ少ないほどいい、と考えるのは単純すぎるにしても、
役割がかぶるキャラクターはたくさんいらない、というのは物語の原則です。
1つのキャラクターに多くの役割を与えるほど、
キャラクターが多面的になり、魅力的に見えやすくなります。
そのキャラクターが本当に必要なのか、物語を書き始める前に問い直すことも必要です。
超重要な大前提。読者は「キャラクター」を見たい
ここまで「読者ファースト」という言葉を使ってきました。
といっても、何を意識すれば読者ファーストになるのか、というのは難しいかもしれません。
なので、超重要な大前提を書いておきます。
読者はキャラクターを通して物語を読みます。
「このキャラクターたちはどうなるのか」が気になれば読むし、
気にならなければ読みません。
物語の背景情報だったり、音楽の知識だったりは、
キャラクターたちと比べればはるかに脇役です。
次は、キャラクターの話に移りましょう
②キャラクターが弱い(特に序盤)
本作を読んでいて序盤から感じていたのは、
キャラクターの弱さ、個性の弱さです。
と言っても、エキセントリックな個性をつけろとか、そういうわけではありません。
そんなことをすると青春の雰囲気も崩れてしまいますしね。
それ以前の問題として、「キャラクターを理解してもらう」ことにもっと意識を向ける必要があります。
何よりもまず、キャラクターを読者に「理解してもらう」
本作では主人公とヒロインの2人の視点で物語が進んでいきます。
なので、序盤からこの二人のことを理解してもらうのは何よりも重要です。
キャラクターが理解できなければ、
読者は興味を失います。
ですが残念ながら、読んでいて
この2人のキャラクターを理解しにくいと感じました。
その原因は、情報の隠しすぎです。
「なぜそんなことをしたのか」
まず主人公について。
主人公はネット上で人気を博すシンガーソングライターですが、
とある理由から活動を停止し、
今では人前で歌うことすらやめています。
シンガーソングライターを始めた理由、そして人前で歌わない理由は明かされません。
これでは読者は、
主人公の最もな大きな個性について何も理解できません。
続いてヒロイン。
ヒロインは、主人公が空き教室で歌を歌っているのを見て、
放課後に主人公を呼び出します。
そして、自分がシンガーソングライターを目指していることを主人公に打ち明け、
MV制作を手伝ってほしいと頼むのです。
今まで一度も話したことのない主人公に、です。
普通に考えれば「なぜ?」ですが、
その理由は「歌を聴いたときにピンときたから」。
仲のいい人に打ち明けるのは怖い、という理屈はわかるのですが、
それでも「なぜ主人公か」に対する答えとしては弱いでしょう。
歌って欲しいわけではなく、
手伝ってほしいのはあくまでMV制作ですから、
歌のうまさは関係ありません。
やはり読者にとっては、
「ヒロインの行動がよくわからない」
という感想になります。
そしてそんな状態なので、
主人公がそれを承諾したのも
「本当にそうするか?」と思ってしまいます。
「普通はやらないよね」が積み重なってくると、
読者はキャラクターに違和感を覚え、
読む気を失ってしまいます。
キャラクターがプロットに操られる
とはいえ、これらの情報を隠したい理由は分かります。
どちらの情報も終盤に明かされるものだから。
特に ヒロインが主人公にMV制作を頼んだのは、
主人公がシンガーソングライターであることを知っていたからですが、
その事実を明かしたくなかったのでしょう。
だけど物語の展開上、
ヒロインが主人公にMV制作を頼み、それは主人公が承諾することは必須。
なので仕方なくこのような形になったのだと想います
実際に文章からも、筆者自身無理がある展開だとわかっているような空気が読み取れます。
(これも筆者が前面に出ているので良いことではないのですが)
が、これはいけません。
キャラクターの感情よりもプロットを優先させていることに、
読者は敏感に気がつきます。
なのでうまい作家は、
プロット通りの行動だとしても、
違和感のない形でキャラクターに行動をとらせます。
建前のテクニック
そのためのテクニックを一つお話ししましょう。
それは、
「ひとまず本音ではなく建前で説明し、読者を納得させる」
というもの。
非常に汎用的で万能なテクニックです。
例えば、こういう展開を見たことがないでしょうか。
とあるキャラが「自分が楽しいからやってるんだよ」と言って取り、
周りから軽蔑の対象になっている行動が、
実は誰かを救うためものだったと終盤でわかる。
とあるキャラが軽い調子で
「こんなことがきっかけで始めた」と言っていた趣味や生きがいが、
実はもっと深い、辛い過去を背景あって始めたものだった。
何でも良いのですが、
一度は見たことがあるんじゃないかと思います。
ひとまず建前で説明しておき、
終盤で真実を語る。
このテクニックは序盤に読者を納得させるためにも有用ですし、
建前と本音のギャップでキャラクターを魅力的に見せることもできます。
たとえば本作で言うなら、
主人公がシンガーソングライターになった理由について
「父が音楽好きで、自然とそうなった」と言っておくとか。
(本当のきっかけは父の死)
辞めた理由についても、
「ある程度人に聴いてもらって満足したから」としておくとか。
(のちにこれが、自分から逃げて自分を納得させるための嘘だとわかる)
こういう小さな工夫があるだけでも、
読者にとっての読み進めやすさは大きく変わってきます。
そして、こういう小さな情報が積み重なることによって、
キャラクターに唯一無二の個性が宿っていくのです。
さて、ここまでキャラクターについて書いてきました。
ただ、いくらキャラクターが重要と言っても、ストーリーとは切り離せません。
ストーリーについて工夫することで、
キャラクターがもっと生き生きと動き出します。
ストーリーの技術について話していきましょう。
③「対立」がない。だから先が気にならない
「物語とは対立である」
のような言葉を聞いたことがあるでしょうか。
ハリウッド脚本術系からきている言葉で、対立は原語では「conflict」。
心理的な意味に注目し、対立ではなく葛藤と訳されることもあります。
とまあ、言葉の定義はどうでもいいのですが、
対立がないことが、本作におけるかなり大きな問題点です。
もうちょっと分かりやすく言うと、
主人公たちの目的に対して大きな障害がなく、
登場人物同士の対立もないので、
「次にどうなるんだろう」というハラハラ感や
「こう来たか」という意外性がないのです。
物語単位で考える
本作では、主人公とヒロイン、2人がMV制作を始めることから物語がスタートします。
歌は完成しており、あとは録音するだけの状態。
肝心のMVの方はまだ構想がなく、これから撮っていかないといけません。
MVを完成させて動画サイトにアップロードするのがゴールです。
それまでには様々なステップを経るわけですが……
- 録音しないといけない
→主人公が機材を持っていたので解決 - MVの構想を練らないといけない
→ヒロインが考えて完了 - MVを撮るには人手がいる
→主人公の友達である絵梨歌がすぐ手伝ってくれる - 撮影を進める
→カメラを持って目的地を回り、つつがなく進む
とまあ、こんな感じで、
ミッション開始から完了までにほとんど困難・障害・対立がありません。
バトルものではないので敵がいないのはいいとしても、
さすがに順調すぎて、物語の序盤ずっとが平坦に感じられます。
ドラマとして考えれば、
もっと大きな困難などが立ちふさがるべきです。
やりようは色々とあります。
以下のうちいくつかを組み合わせることになるでしょう。
次々と困難・障害を用意し、それを乗り越える
今の原稿ですぐに解決してしまっているところを障害にしてしまうパターンです。
- そもそも歌が下手
→うまく歌わなければならない - 撮影道具がない
→撮影するためには、○○さんを説得しなければならない - 撮影する場所がない
→望み通りのカットを撮影するためには、どうにかしてこの場所を借りなければならない。
障害があり、それを主人公たちが機転で解決していく物語ですね。
もちろんこういう工夫は必要なのですが、
この「障害の種類と解決方法」だけで面白いと思わせるのは、
かなりアイデア出しが大変です。
なので、そもそも対立が起きやすくするための工夫をするのがベターです。
制作メンバー内で考えを対立させる
MVの制作メンバーとして、主人公とメインヒロイン、そしてサブヒロインの3人がいます。
しかしその3人はおおむね仲がよく、
制作に関しても同じ方向を向いています。
誰かが「こういう風に撮るのがいい」と言ったら、
みんなそれを受け入れて終わっちゃうんですね。
なので登場人物を追加するなどして、例えば
「MVの作り方に関する思想が真反対な2人」などを置くと、
何をするにしても対立が生まれます。
2人がやいやい言い合ってるだけで面白い、
なんて状況を作ることも可能です。
ヒロインが「手伝ってくれないと主人公の正体をばらす」と主人公を脅す
僕なら真っ先にこれを考えます。
物語のスタートがまるっきり変わりますが、これにより
主人公とヒロインに対立構造を生み出せます。
そもそもヒロインが主人公の正体に気づいていることは物語終盤まで隠されますが、
結構分かりやすくほのめかされていますし、
気付いていること自体は早々に明かしてしまっても問題ないと思っています。
そして、「手伝ってくれないと正体をばらす」と脅し、
主人公は嫌々引き受けることになります。
こうすると、
「ヒロインが主人公に無茶振りし、主人公は断るが、ヒロインが脅して無理やりやらせる」
といった対立のあるシーンをいくらでも生み出せるようになります。
巻き込まれ主人公とでも呼ぶべきか、
結構よく使われる構造ですよね。
2人が同じ方向を向いてあっさり目的を達成するよりも、
何倍も面白くなります。
MVの完成には主人公の歌が必要
物語終盤になってからしか使えないかもしれませんが、これは非常に有力です。
主人公は過去のトラウマによって、人前で歌を歌えなくなっています。
なので、MV制作という目的に主人公の歌が必要になれば、
主人公にとって最も大きな障害が立ちふさがることになります。
それを主人公が乗り越えられるかどうか、
読者は固唾を飲んで見守ることになるでしょう。
ただこれだとMVでは難しいので、
「ライブを行う」などを物語のゴールに設定することになるでしょうか。
後半が面白いのは、対立が起こるから
さて、対立が不足していることを指摘してきましたが、
実は物語後半になるとこの問題が解消されます。
キャラクター同士の考え方がぶつかったり、
主人公にとっての大きな障害が現れたりするのです。
主人公がシンガーソングライターを辞めた理由について、
主人公とヒロイン、そしてサブヒロインの考え方が大きく対立します。
また、ヒロインがMVをアップロードした後のクラスメイトの反応についても同じです。
平たく言えば、前半より後半の方がドラマとしてはるかに面白いと感じましたし、
その理由は対立にあるのだろうと思ってます。
邪推になりますが、作者は後半の展開が書きたかったんじゃないかなと……。
こういうドラマを前半にも用意する、という意識を持ちましょう。
④構成上、終盤1/3が蛇足になってしまっている
最後は構成の問題について見ていきます。
ストーリーとどう違うの、という話ですが、
構成はシーンの並べ方や全体のバランスについての話です。
そして構成についても、本作は大きな問題を抱えています。
僕は本作を読んでいる時、
全体の2/3時点で「物語が終わった」と感じました。
「セントラルクエスチョン」を考える
セントラルクエスチョンという概念があります。
これは、小説や映画といった物語の中で、
物語の中心となる問いです。
と言っても分かりづらいので例を出すと、
- ミステリーなら「犯人は誰なのか。主人公たちは犯人を捕まえられるのか」
- 恋愛小説なら「主人公とヒロインは付き合えるのか」
- バトルものなら「主人公はこの大会で優勝できるのか」
といった問い、目的が物語の序盤で提示されます。
ライトノベルだと長期シリーズになるので、
冒頭で示された大きな問いを1巻で解決しないこともありますが、
その大きな目的につながる小さな目標が1巻のセントラルクエスチョンになります。
大きな目標が「主人公は魔王を倒せるのか」だとしたら、
1巻では「魔王の手下である○○を倒せるのか」になる、といった具合です。
そして物語が終わると、その問いにも答えが示されます。
セントラルクエスチョンに答えると、物語が完結する
さて、本作の序盤で提示されたセントラルクエスチョンは、
「主人公とヒロインはMVを完成させられるのか」です。
読者は「この目標が達成できるのか」と期待して読みます。
しかし本作では、
MVが完成し、動画サイトに投稿するという目的達成の瞬間が、
物語の2/3時点で訪れます。
さらに言うと、それとほぼ同時に、
「人前で歌えない」という主人公の問題(内的問題などと呼ばれます)も解決し、
主人公はヒロインの前で歌を歌います。
読者から見れば、物語が終わったと感じるわけです。
物語の推進力である大きな謎が解決したことにより、
読者は物語から興味を失います。
しかし実際には、
その後のクラスメイトの反応から良いドラマがあり、
主人公ももう一段階の壁を突破します。
では、そこまで興味を持続してもらうためにはどうすればいいのでしょうか。
解決策
物語をコントロールしましょう。
解決策は大きく二つです。
潔く省く、2巻に回す
一番無難なのは、この部分を削ってしまうことです。
現状2.3までで、
セントラルクエスチョンは解決し、
主人公の内面の問題も解決し、
綺麗に物語が終わっています。
やり残した感じもあまりありません。
ですが、おそらく作者さんがやりたいのはこれではないので、次の案を取ることになるでしょう。
目的設定を変える
シンプルに、セントラルクエスチョンを変えましょう。
本作は「MVを作りたい」からスタートしており、
動画をアップロードした後のことやクラスメイトからの反応には言及していませんでした。
例えばクラスメイトのキャラをしっかり立たせるなどして
「シンガーソングライターになって動画を投稿し、クラスメイトのあの子に聴いてもらいたい」
というスタートにしてみるとどうでしょうか。
MV完成はあくまでその過程にすぎず、
果たしてどんな反応を受けるのか、まで読者の興味が持続します。
構成には型がある
構成の問題を指摘しました。
構成はキャラクターなどと比べると勉強しやすい分野で、
「三幕構成」「ブレイクスナイダービートシート」など、参考にしやすい型がすでに存在します。
理論に抵抗がなければ、
まずは脚本術の指南書を1冊読んでみるのがおすすめです。
⑤その他、細かい問題点
ここまで、クリティカルな構造レベルの問題は概ね指摘しました。
この項では、文章レベル、表現レベル、部分的な問題点などを挙げておきます。
ただし細かいと言っても、問題は問題です。
次回作では注意を払うべきポイントを集めました。
相貌失認の設定が効果を発揮していない
中盤で、主人公は相貌失認(他人の顔をうまく思い出せない)であることが語られます。
亡くなった父との思い出は確かにあるのに、その顔も思い出せない。
そんな悔しさから、主人公は歌で感情を表現することを選びました。
ですが正直なところ、
この設定がなくても完全に物語は成立します。
音楽を始めたきっかけは父が亡くなったことだけで十分ですし、
相貌失認によってその重みが深まった感覚もありません。
そして何より、作中のセントラルクエスチョンであるMV制作において
相貌失認は何の障害にも、あるいは何の武器にもなっていません。
このような設定は読者を混乱させるので、ない方がいいです。
物語の面白さに貢献しない設定は、
思い入れがあるものだとしても削除しましょう。
それが読者ファーストの意識です。
読者にきちんと情報を提示する
本作を読んでいて感じたのは、
情報が後出しになっている部分が多いということ。
これは、キャラクターの項で指摘した主人公とヒロインもそうですが、
他にも気になった情報があります。
それは、「主人公がシンガーソングライターをやっていたこと、そして辞めたことをどのキャラクターが知っているのか」です。
特に制作メンバーの一人である絵梨歌は、
「主人公がシンガーソングライターをやっていたことを知っているし、辞めたことも知っているが、その理由については知らない」というステータスのキャラですが、
その情報は後半にならないと出てきませんでした。
また、「その他のヒロインが主人公の正体を知らない」という情報も同様です。
意図的に隠すなどでない限り、
物語の本筋に関わる重要な情報は早めに提示しておくと、
「わからない」というストレスがなくなり、読者にとって親切です。
掛け合いは頭を使わなくても読めるものにする
どういうことが分かりづらいと思うので、該当する文章を出します。
冒頭に出てくる一人の少女(一ノ瀬弦華)がメインヒロインで、その友達はモブキャラです。
「——おはよっ!」
朝とは思えない元気な第一声とともに、一人の少女が教室に入ってきた。
トレードマークとも言える色素の薄い栗色のミディアムヘアを揺らし、清楚と茶目っ気を四対六の割合で処方したような親しみやすい制服の着崩し方をし、日本人男子の理想(俺調べ)を体現したような柔らか曲線をその白いワイシャツの下に隠して、笑顔で友達に手を振る。そんな彼女に気づいた女子三人も、笑顔で彼女に応えた。
「おはよ弦華! 今日いつもより遅かったね」
「アハハ、実は寄り道しちゃって……。腰の悪そうなお婆さんをおぶって横断歩道渡ってたら迷子の男の子を見つけて、その子の母親を探してたら遅くなっちゃった」
一ノ瀬さんはペカーッという笑顔でそう言う。
「いや弦華、その嘘適当すぎ!」
「結局お母さんは見つからなかったんだけど、その子のガールフレンドだっていう女の子が見つかって、男の子は無事帰ることができたんだよね……」
「まだ続けてるし!」
「ってか、それどういう状況だよ」
「そんな二人を、私たちはニッコリ見守ってたんだ……」
「いや、お婆さんまだいたんかい!」
「帰してあげなよ……、腰悪いんだから」
「大丈夫だよ! 私がずっとおぶってたから!」
「……あんたが腰悪くするよ?」
「そんときはケンタにでもおぶってもらいな。ね、ケンタ!」
第3話
それほど重要でない掛け合いシーンなのですが、
ここで読む手が止まりました。
この掛け合い、よくよく読むと別に悪くないのですが、
おばあさんやら男の子やらその彼女やら登場人物が多く、
内容を理解するのにちょっと頭を使うと思いませんか。
重要でないシーンは、頭を使わなくていいように書きましょう。
ちなみにこの場面では弦華の友達が何人か出てきますが、
そのキャラたちにも「ボーイッシュ」などほんのちょっとしたキャラ付けが行われています。
こういう情報も、読者が「覚えなくちゃいけないのかな」と思ってしまうので、
ばっさりカットした方がいいです。
このシーンは
「弦華が友達との付き合いよりも主人公とのMV制作を優先する」
「弦華は友達に歌のことを打ち明けられていない」
の2点がが読者に伝われば OK。
そう考えれば、会話はもっと少なくて(わかりやすくて)いいし、
友達ももっと数を減らすとか、
少なくともキャラを書き分ける必要はないでしょう。
冒頭では作品の雰囲気を統一する
これも、読んでいて若干戸惑ったところです。
第1話~第2話を読んで、
僕はこの作品を「落ち着いた雰囲気の青春もの」だと思いました。
心にしみるような青春系の歌詞、
過去との決別を決意するような主人公の独白、
どこか自嘲気味な主人公の態度。
このスタートなら、そういう落ち着いた主人公なのかと思います。
ですが読み進めてみると、
意外とラブコメ寄りの描写が多くあります。
心の中で以下のようにはしゃいでみたり。
やばい、即既読! ——っていうか、はいぃ⁈ 放課後呼び出された⁈ なんで⁈ 話って何⁈ これ、どう返事したらいいの⁈
第3話
他にも、最初から主人公に想いを寄せてベタベタしてくるサブヒロインがいたり、です。
その一方で地の文では、思考の海を漂うような落ち着いた語りが所々で挿入されます。
このあたりはバランス感覚が難しいのですが、
本作はバランスが崩れてしまっているように感じました。
解決策はシンプルで、ラブコメか青春、冒頭の雰囲気をどちらかに寄せて統一します。
・ラブコメに寄せるなら、暗い過去をほのめかさず、終盤まで明かさない。
(建前のテクニックとの合わせ技が有効です)
・青春に寄せるなら、主人公のリアクションをある程度落ち着いたものにし、絵梨歌のベタベタっぷりも抑える。
この2択です。
ちなみに前者を選んだとしても、
中盤から後半にかけて少しずつシリアスになっていくのはOKです。
良かったところ
ここまで改善点ばかりを指摘してきましたが、もちろん良かったところもあります。
問題点ほど深くは語りませんが、それぞれ触れておきます。
文章が読みやすい
日本語として読みやすい日本語が書けています。
これ、決してバカにしているわけではありません。
日本語として読みにくい文章を書く人はたくさんいますし、
それを指摘するのはけっこう難しいです。
その点本作は、地の文もセリフも読みやすく、
心の中を描く場面も綺麗な文章をかけていました。
一つ一つの文章の読みやすさのみで判断、
出版されていてもおかしくないレベルに達していると感じました。
ただし上述の通り、
情報の出し方や雰囲気の統一感などはこれから意識していきましょう。
この感じだと、指摘されればすぐ直せると思います。
文章のメリハリがつけられている
文章についてもう一つ言及すると、
盛り上げるべきシーンでしっかり盛り上がるような文章を書けていると感じました。
盛り上げるべきシーンというのは、
キャラクターたちの感情が大きく動くシーンであったり、
トラウマを乗り越えるシーンだったりです。
先述の通り、情報提示などの問題で
キャラクターたちに感情移入させることができていないので、
現在の原稿ではあまり効果を発揮していませんが、
しっかり技術を身につけた後には武器になると思います。
主人公とメインヒロインの関係性
様々な技術の問題はあれど、
主人公とメインヒロインの関係性はしっかりと
ライトノベル読者が求める青春ドラマになっています。
- ある分野で高い能力を持っている主人公
- 訳あってそれをやめ、今は誰にも知られない存在
- そんな主人公の秘密を知り、惹かれるヒロイン
- ヒロインとの出会いが主人公の生活を変える
- 過去に主人公が間接的にヒロインの人生を変えていた
- 今度はヒロインが主人公を変え、主人公が立ち直る
こういった要素はどれもライトノベルのツボを押さえており、
ラノベ読者にも深く刺さりうる物語が作れています。
このセンスは今後も大事にしてほしいところです。
読書メモ
最後に、僕が原稿を読みながら書いたメモを置いておきます。
リアルタイムに書いているので、
具体的にどこでどう感じたかが直に反映されています。
批評では言及しなかった小さな違和感なども記載しています。
批評を活かすためのネクストステップ
さて、作品内容に関する批評は以上です。
この批評を読んで「勉強になったなあ」と思ってもらえていれば嬉しいですが、
最後の最後に、この批評を最大限に活かすためのネクストステップを提示しておきます。
批評を読むだけでは分かった気になって終わりがちです。
次のような学習に進み、血肉に変えましょう。
創作指南書を読む
1つおすすめなのが、創作指南書を読むことです。
僕が批評の中で指摘したストーリーやキャラクターの技術は、
その多くが創作指南書で学んだものです。
(もちろんその技術はすでにしっかり身についているので
この批評を書く際に本を読み直したりはしていません)
僕は作品に合わせて必要な批評を行いましたが、
体系的に一通り学べた方が分かりやすい部分もあると思います。
ひとまず以下の、
フィルムアート社がカクヨムに連載している講座を読み通すのが良いです。
といっても文字数がすごく多いので、
気になる部分からでも構いません。
例えば批評の中で「物語とは対立である」の話をしたので、
以下の部分を読む、という感じです。
時間がある時に読み進めていきましょう。
同じジャンルの受賞作を分析する(重要)
ただ、創作指南書よりも圧倒的に優先すべきなのが、
同ジャンルの先行作の研究です。
これは必ずやってほしいです。
僕の批評を読んでも、
「悪い部分は分かったけど、どういう風にすると良くなるかがわからない」
となってしまうのはある程度仕方のないことだと想います。
なので、同じジャンルの受賞作、あるいはヒット作などを読み、
ある種の模範解答として参考にするのが良いです。
この作品の場合のおすすめは、
昨年末に発売されたMF文庫Jライトノベル新人賞の最新の受賞作、
「青を欺く」です。
「青を欺く」は、強引なヒロインが主人公を巻き込み、
自主映画の制作を始めるというストーリー。
題材こそ違うものの、
高校生たちがチームを組んで映像作品の完成を目指すというストーリーラインは「イドフリミエ」とほぼ同じです。
そしてこの作品を読みながら、
批評にあった部分を受賞作がいかにうまくやっているか、
綿密に分析してみてください。
- 読者にとってなじみのない映画制作の世界をどう提示しているか
- 主人公とヒロインにどんな個性があるか
- 制作チームのメンバーをどんな配置にしているか
- 制作上の困難・対立をどう作っているか
- 文章の雰囲気はどうか
- 終盤の展開から逆算して、序盤で読者にどんな情報を提示しているか
などなど……。
優秀賞受賞作である「青を欺く」は当然ながら、
どの要素も高いクオリティでまとめられています。
批評を受ける前と後では、
同じ作品を読むとしても見え方がまるで違うはずです。
次回作を書く
そしてもちろん、学んだことを生かして次回作を書きましょう。
本を読むというインプットだけでなく、
自ら手を動かしてアウトプットすることで、
学びはより深いものとなります。
同じミスを犯さないように気をつけながら、
常に前より良い作品を書くことで、
受賞はどんどん近づいていくはずです。
まとめ・批評を振り返って
長くなりましたが、以上で全ての批評を終わります。お疲れ様でした。
さて、いかがだったでしょうか。
もちろん批評は富士月さんに向けて書いたものではありますが、
作品に潜む問題点は、この作品だけではなく
様々な作家さんの様々な作品にも同様にあるものばかりです。
富士月さん以外が読んでも勉強になるものになったと思います。
改めて富士月さん、
公開批評をご快諾くださり本当にありがとうございました。
と同時に、読者の方から見れば
「一冊の中からこれだけの問題点を見つけられるのか」
と驚かれたかもしれません。
実はこれでもまだ、意外と余力を残しています。
批評で取り上げたのは大きな問題だけで、
もっとレベルの高い指摘もしようと思えばできます。
ただ、現時点で指摘してもおそらく身にならないと判断した点は言及しませんでした。
本記事では作家としての技術を惜しみなく放出しましたが、これでもごく一部です。
僕は作家の中でも理論の理解や言語化が上手い方だと自負していますが、
納得していただけたのではないでしょうか。
もちろん僕も、最初からこんな批評ができたわけではありません。
むしろプロフィールでも書いた通り、
かつては批評を受けて勉強する側の人間でした。
理論を学んでも使いこなせず、
ライトノベルの感覚をいつまでも掴めなかった、
そんな過去があります。
そして一念発起し、
プロなどに自分の原稿を見てもらうようになったことで、
大きく成長をすることができたのです。
僕と同じ苦労を味わってほしくない、という思いから
小説に関する技術をブログという形で書き残していこうと決めた僕ですが、
原稿を読むことによってしか提供できない価値がある
のもまた事実だと、今回の件で実感しました。
そこで、告知です。
【案内】ココナラで講評サービスを開始します
詳細は近々ブログで案内しますが、
サービスページはすでに作っており、申し込み可能です。
小説本文コースとプロットコースを用意しました。
サービス内容はシンプルで、
小説本文またはプロットを僕が読み、
本記事で書いたような講評をお返しします。
また追加オプションで、
通話による相談も可能としました。
決して安くはありませんが、
新人賞を受賞すれば賞金と印税で何倍にもなって返ってくる額です。
本気の人だけ、
作家人生を変えるつもりで来てください。
どちらのコースも1枠のみの受付
(講評が終わるまで次の申し込みは受けない)
で、僕も本気で応えます。
それではまた。
(追記)
案内ページを投稿しました。
コメントはお気軽にどうぞ
コメント一覧 (2件)
のべろさん
改めて、ここまで真剣に僕の作品に向き合っていただき、ありがとうございました。
厳しい指摘にも見える言葉に出会うたび、作品をしっかり読んでくださったことを実感し、それがとても嬉しかったです。
自分の書いた小説がプロ目線だとどう映るのか、それを知ることが出来たのは本当に良い経験になりました。
実は僕が投稿先の新人賞にMF文庫Jライトノベル新人賞を選んでいる理由の一つに、応募者全員に講評シートを送ってくれるから、つまり少しでもプロ目線の感想に触れることが出来るからというのがあります。そのフィードバックが、おもしろい作品を書けるようにために、成長するために必要なことだと感じていたからです。
今回ののべろさんの批評を受けて、改めてそれを確信できました。
指摘を一つ受けるたび、自分一人では見えていなかった作品の姿を知ることができ、また自身の視界が開けていくのを感じました。
興味深かったのは、今回の批評にあった指摘の内容と新人賞から送られてきた講評シートの内容に、共通する部分が多々あったということです。
「気になる点、見ている点というのは共通しているものがある」、
以前のべろさんのブログでも扱っていた、「プロが共通して持っている感覚」にも通ずるものを目の当たりにしたようで、それも良い体験でした。
もっとも、講評シートの批評は箇条書きで各項目1〜2行ほど。なんとなく意味は分かるけれど、具体的にどういうことなのか理解できていない、というのがほとんどだったと今では思います。
今回の批評記事を受けて、それらが言わんとしていたことがグッと明確になりましたし、そしてもちろん、その時よりも圧倒的に多くの情報、気づきを得ることが出来ました。
偶然の出会いからこのような機会に恵まれたこと、本当に嬉しく思っています。
この出会い、頂いた批評は、僕のこれからの成長に大きく繋がるものになると確信しています。
今回の批評を大切な糧として、また次の作品づくりに取り掛かっていこうと思います!
もし今後、賞を受賞する等の成果を出せた際には是非またご報告させてください。
ココナラで講評サービスを始められるということで、もしかしたらそちらを利用させていただくこともあるかもしれません。今度は正規の手順を踏んでお願いするので(笑)、その時はまたよろしくお願いいたします。
この出会いが、のべろさん、そしてブログを読んでくださった方々にとっても、良い縁に繋がるものになることを祈っています!
最後になりましたが、本当に、ありがとうございました!!!!
富士月愛渡
富士月さん、コメントありがとうございます!
ちょっと厳しく書きすぎたかも、と心配していたのですが、そう言っていただけて安心しました。
MFの編集者さんと意見が合っていたというのも、当たり前ではあるのですがホッとしますね笑
プロ目線を知るためにMF文庫Jライトノベル新人賞に応募するのは、目の付け所がとても良いと思います。
ただ、字数も少ないですし、評価シートだけで大きく成長できるかというとなかなか難しい部分も正直あります。
手前味噌ですが、今回の批評は大きく変わるきっかけとして十分すぎるものだと思うので、これから正しい方向に進んでいただければと思います。
理論書は好き嫌いありますが、「青を欺く」もぜひ。めちゃめちゃ参考になると思います。
【もし今後、賞を受賞する等の成果を出せた際には是非またご報告させてください。】
→ぜひお願いします! その時は自慢させてください。期待しています。
【ココナラで講評サービスを始められるということで、もしかしたらそちらを利用させていただくこともあるかもしれません。】
→こちらもぜひ。
プロットを作る派でしたら、次回作のプロットができたタイミング(執筆に入る前)で相談いただけると一番役に立つかと思います。
今回の批評を見ていただければわかるとおり、文章力以外の問題はほとんどプロット段階で判断できますので。